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「あなたの知らない南極犬ものがたり」

第4回 タロとジロの命をつないだ秘密の食糧基地 PART3

1958年2月。突然、マイナス40度の南極に置き去りにされた、15頭のカラフト犬。日本の南極観測隊の歴史を語る時、絶対に忘れてはならない悲劇でした。

鎖につながれ、数日分の食糧だけを与えられた15頭のカラフト犬たち。昭和基地にいた11人の人間は、誰ひとりいなくなった。

寂しさ、恐怖。それもあったでしょうが、彼らが生き抜くためには、鎖から抜け出し、食料を探し出すことです。それができなければ、飢え死にするか、凍死です。

1年後の1959年。15頭のうち、7頭は遺体で発見されました。6頭は行方不明とされましたが、その後、「第三の犬」はタロ、ジロと一緒に、南極基地で人間たちを待っていたことが分かりました。

その理由は、前回述べました。昭和基地には、犬でも簡単に肉や魚を手に入れることができる「天然の冷凍庫」があったからです。だからこそ、タロとジロは1年の間に丸々と太り、健康なまま、第3次越冬隊によって救出されたのでした。

しかし、実は彼らの胃袋を満たしたのは、この「天然の冷凍庫」だけではなかった。あと2つ、食糧をゲットする場所があったのです。その場所を、第三の犬は知っていたのでした。

「天然の冷凍庫」にあったのは、塩漬け状態になった肉、魚だけ。栄養価の高いチーズやバターなどはありませんでした。ところが、「第2の食糧基地」には、そうした高エネルギー、高たんぱく質の食い物がたくさんあった。また缶詰のマグロや鶏肉などもあったのです。

その「第2の食糧基地」は、昭和基地から約100キロ離れた氷雪の上にありました。「デポ」といいます。「デポ」とは、登山や遠距離移動の際に、適切な場所に食料を保管する場所のことです。例えば、200キロ先にある目的地まで移動するのに、わざわざ、帰りに食べる食料まで目的地に持っていく必要はありません。そんなことをすれば荷物が重くなるだけです。だから、目的地に向かう途中で、旅程の後半に必要な分は荷物から下ろし、一か所に集めておくわけです。

帰り道に、その「デポ」に立ち寄り、置いていた食料を積み込み、出発地(昭和基地)に戻るまでの食糧にするわけです。合理的でしょ?

この「デポ」は、1957年の10月に設営されました。当時、人類が誰も登ったことがない南極の霊峰、ボツン・ヌーテン登山のため、犬係の北村泰一隊員ら3人が、カラフト犬たちとともに昭和基地を出発。犬ぞりに積む総重量は500キロ。あまりに重いので、途中で「デポ」を作り、帰り用の食料を降ろしたのです。

移動する際の食糧は高カロリーです。少ない分量で、豊富な栄養、エネルギーが補給できるからです。なので、降ろした食料は、チーズやバター、それに鶏肉やマグロの缶詰類でした。これらの食糧を、タロ、ジロ、そして第3の犬はたらふく食べ、エネルギーを蓄えたのです。栄養のバランスという面でも、塩漬けの肉だけよりも、体には良かったでしょう。

ここで、鋭い読者の方は、2つの疑問を持つでしょう。

「いやいや、缶詰って。いくら肉類が入っていても、犬が缶詰開けられるわけないし。まさか、牙で金属をかみちぎったとか?うそだ~」

「犬だけじゃ、どこにデポがあるか分からないはず。それに、片道100キロって、往復で200キロじゃん。犬がそんな長距離、走れるわけないし」

鋭いですね!素晴らしい。でも、南極という特殊な場所だったこと。そして、第三の犬がいたことで、この問題は解決していたのです。

まず最初の疑問。確かに、犬の牙で缶詰を開けることはできません。また、缶詰に入った状態のままでは、匂いもしないので、缶詰の中に食料があることも、犬にはわかりません。

ところがですね。このボツン・ヌーテン探査の時に運んだ缶詰は、昭和基地で準備中に、すべて開けて、中身だけにしたのです。

理由は、徹底的に重量を削るためです。缶詰の缶は金属。何百個ともなればかなりの重量になります。だから、中身だけを運ぶことにした。その分、犬ぞりに積む荷物の総重量が軽くなるわけです。

「いやいや。そんなことしたら、中の肉がばらばらになったり、肉汁がしたたってしまうでしょうが」

と、思うでしょう。そうはならない。10月の南極は平均気温がマイナス11度。最低気温はマイナス27度(2021年)。温暖化が進んでいなかった1957年ごろは、もっと寒かったはずです。だから、缶詰から出した肉類は、肉汁ごと凍っていた。だから薄紙に巻いて、運べたわけです。

したがって、「デポ」に置かれた缶詰の中身の肉類は、そのままの形で残っている。雪に埋もれていても、犬の嗅覚であれば難なく見つけ出す。そして、ガジガジとかじっているうちに、犬の口腔の体温で徐々に溶け出す。そのまま、タロ、ジロたちの胃袋におさまったわけです。

もう一つの疑問。その「デポ」は昭和基地から100キロ先にある。そんな遠距離まで行けないだろう。方向も正確でないとだめだし。無理なのでは?

現在存命の唯一の第1次越冬隊員で、タロ、ジロら犬の世話係をしていた北村泰一さん(九州大学名誉教授)は、カラフト犬を知り尽くしている方ですが、こう言っています。

「もし、生き延びたのがタロとジロだけだったら、100キロ先にあるデポにたどり着くのは無理だっただろう。彼らは南極に来た時1歳。置き去りにされたとき2歳。経験が浅く、体力も他の犬たちより劣った。ただ、200キロ往復するだけなら、重い犬ぞりを引くわけではないので、なんてことはない。距離は問題ではない。アメリカ大陸を横断した犬がいた、という記録もあるくらいだ。身軽な状態で移動するのなら、マイナス40度の南極であっても、寒さに強いカラフト犬には、片道100キロなんて軽い」

としたうえで、

「問題は、方向。ここが一番重要。犬は人間よりもはるかに方向感覚が優れている。とはいえ、南極は一面、同じ雪と氷の景色です。目印になるものもない。経験の浅いタロ、ジロだけでなく、他の犬たちでも、100キロ先にあるデポにたどり着くのは不可能だっただろう。ところが、タロとジロには、第三の犬が一緒にいた。ここがポイントなんですよ」

第三の犬と、他の犬たち。何が違うのか。それは、第三の犬は、犬ぞり隊の「先導犬」だった、という事実です。

先導犬とは何か。15頭前後の犬たちが隊列を組んでソリを引っ張るのが犬ぞり。その犬たちの配置は、適当ではない。パワーが必要なポジション。粘りが必要なポジション。さほど体力を必要としないポジションがある。だから、力持ちの犬は、パワーが必要なポジションに配置するし、高齢の犬はあまりきつくないポジションに配置する。これをきちんとやらないと、全体のバランスが崩れ、犬ぞりはスムースに走らないのです。

中でも重要なポジションは、犬ぞり隊の先頭に立つ「先導犬」なのです。先導犬には、2つの資質が求められます。

第一に、人間が「進め!」と指示をする方向に、危険なもの(例えば、氷の落とし穴とか、尖ったザラザラの雪面とか)がないか、割れそうな薄い氷があるのではないか、と言ったことを察知する能力。先導犬は、走りながら、足裏から伝わる感触で、そうした危険を察知するのです。そして、「この先は、ヤバい」と判断すると、人間が「真っすぐ進め」という指示を出しても、命令を無視し、右に迂回したり左に回ったり、場合によっては、停止する。

「人間の指示通りに行ったらアブナイ」と察知するからです。それを人間もわかっているので、そういう場合は、先導犬が選択したルートに変更する。

第二に、抜群の方向感覚が必要です。

よく、何百キロも離れたところに捨てた犬が、自宅まで自力で帰ってきたという話がありますね。動物愛護の思想が広まっている現代では想像するのが難しいでしょうが、昭和30年代、40年代のころは、転勤や、経済的な事情などで、飼っていた犬を遠くまで捨てに行く、といったことは、結構あったのです。今の感覚では許されないことですが。

タロ、ジロを保護した「第三の犬」は、第一次南極越冬隊に参加した18頭のカラフト犬たちの中でも、抜群の方向感覚を持っていました。

カラフト犬は、広大な雪原が広がるカラフト地方の犬です。カラフトは、北海道の北に位置する島です。広さは北海道ぐらいで、南北に細長いのが特徴。冬にはマイナス50度になることもあります。冬季になると、周囲は南極と同じような雪原が広がるので、自然とカラフト犬の方向感覚は研ぎ澄まされたのでしょう。

この島は、1905年から1945年までの間、南半分(南樺太)は日本が領有していました。日本の領土だったので、北海道とカラフトは海産物や日用品などの経済交流や人間の行き来も盛んでした。

カラフト犬はカラフト原産の犬です。長い毛にみっしり覆われているので寒さに強く、足が太くてパワーがある。また人間に対して従順なので、使役犬としてカラフトで飼育されていました。小さなソリや、リヤカーを引くのが仕事です。カラフト犬は続々とカラフトから北海道にやってきました。各家庭に1頭という割合で、やはり使役犬として飼われるか、家族同様に飼育されていたのです。

第一次越冬隊に選ばれたカラフト犬たちは、多くのカラフト犬たちの中から選び抜かれたエリートたちです。それらの中でも、「第三の犬」の方向感覚は並外れていました。だからこそ、犬ぞり隊の先頭に立って、みんなをリードする「先導犬」のポジションを得ていたのです。

危険察知能力と、正確無比な方向感覚。この二つの才能を持つ「第三の犬」にとって、一度行ったことがある「デポ」に到達することは朝飯前だったのです。重い犬ぞりを引く必要がない身軽な状態なので、到達速度も速かったでしょう。

そうした才能がない、若いタロとジロは、「第三の犬」に導かれ、雪に埋もれた「デポ」を丈夫な前脚で掻きだし、缶詰の缶から出して保存してあった牛肉のしぐれ煮や、カニや、イワシ。またチーズやバターなどの高タンパク質をたっぷり食べ、再び昭和基地に戻ったのです。

「第三の食糧」。これはクジラの残骸です。これが発見されたのは、第一次越冬隊がボツン・ヌーテンを探査した帰り道でした。昭和基地から約100キロ離れた地点です。

帰り道。探査隊の隊員は、遠くに、朽ち果てた山小屋のようなものを発見しました。柱のようなものがたくさん立ち並び、布のようなものがはためいている。

隊員たちは「いったいなんだろう」と近づきました。近くまで来ると、犬たちが鼻にしわを寄せ「ウ~ッ」とうなり始めました。威嚇しているのです。

すぐそばまで来ると、それはかなり前に死んだと思われるクジラの遺骸だったのです。巨大なあばら骨がまるで山小屋の柱のように見え、布のようにはためいて見えたのは、クジラの皮でした。

「なんで、こんなところにクジラの残骸が……」隊員たちは推理しました。

クジラの残骸が見つかった場所は、本来は海ですが、南極なので厚い氷におおわれています。「はるか昔、たまたまこの周辺の海が凍っていなかった時に紛れ込んだのだろう」

徐々に海が凍り始め、ついには閉じ込められてしまい、命尽きたのだ、というのが隊員たちの推論でした。

ここで、皆さんは不思議に思うでしょう。

「ずいぶん前に死んだんでしょ?腐ってたんじゃないの」

ところが、元々南極にいる生物は、死んでも腐敗しないようで、風化するだけ。だから異臭もしない。

クジラの皮の内側には肉片や脂肪のようなものがこびりついていました。いわば、自然に干し肉になったようなものです。ですから、犬たちにとって、これはごちそうです。何頭かの犬が食べようとしました。そのときは、食べさせなかったのですが、犬たちは未練たっぷりだったそうです。

缶詰の肉は加工されたもの。しかしクジラの肉は、まさに「肉そのもの」です。犬たちは、人間が捕獲したアザラシの生肉を与えると、喜んで食べていました。人間が、マグロの握りずしやイカの刺身を喜んで食べるのと同じです。逆の立場に立てば、アザラシもマグロもイカも、迷惑極まる話ですが、それが食物連鎖というものです。アザラシだってペンギンを食べ、マグロも小魚を食べて命をつないでいる。それを非難することはできませんよね。

「第三の犬」と、タロ、ジロは、このクジラの残骸の肉や脂肪を食べて、さらに栄養を補給したのでしょう。また、分厚い皮に覆われたクジラの残骸の内部は、一種のテントのようなものですから、ここで数日寝泊まりするのは、三頭にとってキャンプにでも来たような楽しさがあったかもしれません。

まとめましょう。

1958年2月。日本の南極越冬隊と一緒にいたカラフト犬15頭は、鎖につながれたまま、昭和基地に置き去りにされた。わずかな食糧だけを目の前に置かれて。これでは犬たちは全滅するしかない。昭和史に残る残酷なできごとでした。

ところが1959年1月。再び越冬隊が昭和基地にやってくると、なんと置き去りにされた15頭のうち、タロ、ジロの2頭が生きていた。それは世界中が驚き、喜んだグッドニュースだったのですが、「いったい、どこで何を食べていたんだ」という謎は、60年以上も解けなかった。

タロとジロが生き延びた秘密。それは、「実は、3つの食糧基地があった。犬たちでも自由に食べられる状態で」という、驚きの証言で判明しました。証言したのは、第一次越冬隊で犬係をつとめ、第三次越冬隊にも参加して、タロ、ジロと奇跡の再会を果たした北村泰一隊員(九州大学名誉教授)。

北村さんは、同時に、「昭和基地で生きていたのは、タロとジロだけではなかった。実は、もう一頭生きていた」「その犬はスーパードッグだった。彼が一緒にいたからこそ、幼いタロとジロは豊富な食料と安全な場所を与えられ、生き延びたのだ」という証言をしたのでした。

3つの食糧基地。

★まず、昭和基地エリアで、氷を掘って作った天然冷凍庫。ここには海水漬けになってしまったものの、牛肉や鶏肉、魚類がたくさんあった。腐ることなく。

★ボツン・ヌーテン探査の際に、昭和基地から100キロほど先に作った食料保管基地「デポ」があった。タロ、ジロだけでは到達は無理だが、第三の犬のおかげでたどり着くことができた。

★ボツン・ヌーテン探査の帰り道に発見した、クジラの残骸。腐敗することなく風化していたようで、まだ肉や脂肪がたっぷりこびりついた皮が残っていた。犬にとっては大好物だっただろう。

カラフト犬たちの特性を知り尽くし、特に「第三の犬」の驚くべき才能を理解していた、第一次越冬隊の犬係、北村さんだからこそ、科学的な分析と推論を組み立て、60年以上も謎のままだった、「タロとジロはいったい何を食べて南極で生き抜いたのか」という疑問を解き明かしたのでした。

(written by Free Dog)

(次回は、カラフト犬たちは、どうやって選ばれて南極にやってきたのか、についてご紹介します。不定期掲載)

【ミニ解説】 日本の南極第1次越冬隊は多くの犬を南極に連れて行った。しかし1年後、2次越冬隊との交代に失敗。結局15頭を鎖につないだまま南極に置き去りにした。全滅したと思われていたが、1年後、なぜかタロとジロの2頭は生きていた。世界中が驚き、「タロジロの奇跡」と言われている。

★このブログを書くにあたり、小学館集英社プロダクションの許諾を得ています。

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