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南極の氷は青かった🔵

皆さんは「地球は青かった」という言葉を聞いたことがあるでしょう。

「地球は青かった」…なんてロマンチックな言葉でしょう。

この言葉は、1961年4月12日、人類で初めて宇宙に飛び出し、地球を一周して生還したソ連(現在のロシア)の宇宙飛行士、ガガーリンの言葉です。

ただガガーリンの本当の言葉はちょっと違っていました。正確には「空はとても暗かった。その一方で地球は青みがかっていた」だったのです。

ところで、欧米では「地球は青かった」発言よりも「ここ(宇宙)に神は見当たらない」という言葉のほうが有名だそうです。

「神は存在する」――これはキリスト教の基本ですからね。

「神様なんか、いなかった」という発言は、キリスト教徒が多い欧米では、問題発言なんでしょう。

のち、あるジョークが話題になりました。

ガガーリンを祝福に来たキリスト教の偉い人が、こう尋ねた。

「ガガーリンよ、ほんとは宇宙で神を見たんだろう?」

「いや、神はいなかったっす」

「それじゃ困るんだよねえ。本当は神を見たってことにしてくれよ」

次にやってきたソ連政府の偉い人が、ガガーリンに聞いた。

「おい、ガガーリンよ。神なんて、いなかったんだな?」

ガガーリンは、キリスト教の方との約束を思い出して、言った。

「神さま、っすか。実はいました。マジで!」

「同志よ。命が惜しかったら、そのことは絶対に言うなよ」

当時、ソ連を支配していたレーニン主義は、神を否定することから成り立っていたので、「神様はいたぜ」と、英雄ガガーリンが言ったら、超ヤバイわけですね。

ところで、ガガーリンが宇宙から生還する前に、ソ連は2回も打ち上げに失敗し、一人は中国のどこかに墜落して骨も残らなかったとか、もう一人は地球に戻れず、今も宇宙のどこかをさまよっている、といった、宇宙ホラーもあります。

いきなり話がそれまくりですが、「地球は青かった」と同じく有名な言葉が、第1次南極観測隊の誰かが残した言葉、「南極の氷は青かった」です。すべてではないですが、一部の氷は本当に青いんです。なぜでしょうか。

南極海には、白い氷と青い氷が混在して浮かんでいます。

たいていの場合、白い氷は海水が凍ったもの。

そして青い氷は、南極大陸にあった「氷河」が、高い山から低地へずるずると移動し、ついには海へ流れ落ちたものです。

「氷河」とは、山地に降った雪が長い年月をかけて積み重なり、信じられないような力で圧縮された巨大な氷の塊です。超圧縮される過程で、氷河の氷の内部にあった気泡は押しつぶされ、ほとんどゼロになります。

さて皆さん、光はざっくり7色のカラーがありますよね(本当は無限大にあるのですが)。虹の色です。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。この7色。色にはそれぞれ「波長」という、めんどくさいものがありまして、ぶっちゃけて言えば、赤色サイドは波長が長く、青色サイドの波長は短い。とりあえず、そう思ってくださいね。

さて、気泡がほぼ消滅した氷河の氷に、光が当たるとします。

すると、科学的説明はめっちゃ省略しますが、波長が長い赤色たちは吸収されてしまう。

吸収されるってことは、簡単に言えば、消えちゃうわけで、「赤い系統の色は、人の目には見えなくなる」のです。

しかし、短い波長の青色は、気泡がゼロに近い氷であっても、その氷の中を突き抜けます。するとどうなるか。いわゆる「反射」という反応が起きます(ここで、「わからんたい!」というお叱りの声が聞こえるような…)。

えー、要するに、氷河の氷に飛び込んだ光は、「赤系統は見えなくなり、青色だけが見える」状態になるんです。

なので、南極の氷(氷河の氷)は、人間の目には、青色に見えるわけです。

私は南極に行ったことはありませんが、氷河が作り出した青い氷は見たことがあります。それは南極にまあまあ近いニュージーランドの南側、マウント・クックという場所にある湖での体験でした。

湖そのものがエメラルドグリーンに輝き、あちこちに浮かぶ氷山は驚くような青色、あるいはエメラルドグリーンでした。

実感としては、青色よりもエメラルドグリーンのほうが多かったように感じました。

試しに湖に手を入れたら、ちぎれたかと思うほど、めっちゃ冷たかったですね。その様子を見ていたガイドのレイモン・ジェラルドは、私に言いました。

「ミスター、この氷河湖は遊泳禁止だ」

あのね、飛び込んだ瞬間に死んじゃうでしょ。

それでも、氷山に近づき、ガシッとつかんだら、意外に簡単に氷山のかけらが手に入りました。下の写真のように、本当に透明で美しい。

これはもう、綺麗なグラスにこれを何個か入れ、透明な日本酒を注いで、ゆっくり飲まないと!(おいおい)

氷山は湖のあちこちに浮かんでいましたが、レイモンは「巨大な氷山は危険だからボートでは近づかない。時々、くるりと氷山が回転する。すると、津波のような高い波が発生する。このボートなんか簡単にひっくり返るから。わっはっは」。

いや、笑い事じゃないやん。💦💦💦

この湖は、ニュージーランド政府観光局の招きで案内してもらったのです。

私は、連日のワイン接待でアル中状態でしたが、この氷河が作った湖で一気に目が覚めました。今思い出しても、なんという美しい光景だったか。

南極ツアー料金はとんでもなく高いですが、ニュージーランド旅行なら私たち庶民でも手が届きます。ぜひ、ニュージーランドで「見ると青いのに、手に取ると美しく透明」な氷をゲットしてください。運が良ければ、下の写真のように、ちょっと面白い形の氷河を手にすることができますよ。

さて、本題に戻ります。

第一次南極観測隊を乗せた南極観測船宗谷が、私が見たものと同じもの、いや、それ以上に青々とした氷河由来の青い氷に遭遇したのは、1957年1月4日のことでした。今(2023年2月)からおよそ66年前のことです。

初めて見る青色の南極の氷に、観測隊員も、船の乗組員も、「オンザロックで一杯やりたいな」と口々に話していたそうです。昭和の飲んだくれのオヤジが考えるとは同じですねえ。

この宗谷に乗り込んだカラフト犬は22頭。その中には、のちに1年間も南極に置き去りにされながら、奇跡的に生き延びたタロとジロもいました。

一方で、せっかく1万4000キロも航海してきたのに、南極に降り立つことなく、そのまま日本に引き返すことになった犬もいました。2頭のメスの子犬のうち、ミネは航海中に階段から転落、重傷を負いました。子供を産んでもらうつもりで連れてきたのですが、大けがをしてしまったのでは、出産させるのはかわいそうです。

また、トムと、札幌のモクというオスの2頭は、航海中に体調を崩してしまい、回復の見込みがないことから、「南極で過酷な犬ぞり引きをさせるのは無理だ」ということで、帰国が決まったのです。

稚内で厳しい訓練に耐え、せっかくここまで来たのに、日本中の期待に応えるチャンスを与えられないまま、南極の氷雪を踏むことなく帰国の途に。

しかも札幌のモクは帰国途中に宗谷の船内で死んでしまいました。家族のもとに帰れるはずだったのに。モクは、22頭いたカラフト犬の、最初の犠牲犬になったのでした。

さて、宗谷はリュツォ・ホルム湾の開水面(凍っていない海)ぎりぎりのところに到達しました。彼方に南極大陸が見えます。そして、ここから先の海は、完全に凍っています。このように、海水が全面凍っている状態を定着氷、あるいは海氷と呼びます。

まるで氷の大地のように見えますが、分厚い氷の下は冷たい南極海なのです。

この定着氷(海氷)のはるか先にある南極大陸に上陸し、隊員たちが1年間を過ごす越冬基地を建設する。これが最初の任務になります。ところが!

とんでもないことがわかりました。日本が越冬基地建設を認められたこのエリアは、南極大陸の端っこが、どこも切り立った崖のようになっていたのです。

高い氷の壁が、どこまで行っても続いています。

雪や氷の上を走る雪上車は、ある程度の坂は上れますが、さすがに崖を這い上がることはできません。つまり、雪上車は南極大陸に上陸できないわけです。

ということは、建設資材を運ぶことができない。つまり、基地を作れない。

越冬隊は「ガーン」となったことでしょう。

「なんで、こんなところが上陸地点なんだよ」と愚痴の一つも言いたくなりますよね。

実は先進各国は、このエリアは南極大陸への上陸が不可能であることを知っていました。だからこそ、このエリアは空白地帯で、どこの国の基地も無いわけです。

「先進国の我々ですら基地建設は不可能。敗戦国の日本に、できるかな?」。そんなイジワルな感情があったような気がするのは、私だけでしょうか。

ま、好意的に取れば「日本の技術力と、創意工夫の精神力があれば、建設も可能かも」という期待が込められていた、と思えないこともないですが。

ともかく、想定外のことに越冬隊は頭を抱えました。偵察機を飛ばし、「どこか、基地を作れる場所はないか」と必死に探しました。すると、見つかったのです。 それは、南極大陸ではなく、大陸から少し離れたオングル島でした。宗谷の現在地点からオングル島まではまだ数十キロあります。少しでも近づくために、宗谷は固い定着氷(海氷)をガシガシ割りながらオングル島を目指すことになりました。

ここで宗谷についてちょっと説明しましょう。

宗谷は、元々は日本海軍の軍艦でした。ほとんどが沈められた日本海軍の船の中で、貴重な生き残りです。とはいえ、かなりのボロ船。これを大改装して、南極観測船として再生させたわけです。

南極観測船の能力として、重要なのは船先です。ここを頑丈にして、特別な仕様をほどこしました。

簡単に言えば、分厚い海氷に体当たりし、上下動も加えて、次々に氷を割っていく。そして前進する。これを繰り返して南極大陸に向かうわけです。

今回、基地建設の予定地に定めたオングル島まで、この方式でバキバキ氷を割って進めればよかったのですが、なにせ老朽艦。馬力が足りない。大陸に近くなるほど氷の厚さは増していきます。つまり割れにくくなる。

とうとう、氷を割ることができないところで宗谷は停船です。ここからは船を降りて移動するしかない。

だが、重い雪上車は、果たして海氷の上を安全に走れるだろうか。意外に厚みがない場所があって、そこから冷たい海に転落したら、乗員は即死します。だから調査が重要です。

その役割を担ったのが、犬ぞり隊でした。軽量の犬ぞりなら重みで氷が割れる心配はない。長い時間をかけて訓練してきた18頭の犬(メスのシロ子はソリを引きませんので、犬ぞり隊のメンバーはオス犬18頭です)が、ついに初舞台を踏む時が来たのです。1957年1月24日のことでした。

犬たちには、南極大陸はどのようなカラーに見えたのでしょうか。昔は「犬には色を識別する能力はない」とされてきましたが、最近の研究では緑色や黄色系統は「くすんだ黄色」に見え、青や紫色は「青っぽい色」として見えるという学説が有力です。

もしそうなら、犬たちにも、白い雪原のあちこちに見える青い氷は、やはり青っぽく見えたのでしょうか。

「やっと出番が来たぞ」――犬係の北村泰一隊員は、やる気満々でした。自信もあった。稚内であれだけ訓練し、500キロの荷物を平気で引っ張り、正確に走ることができるようになった犬ぞり隊。最強の犬ぞりチームができた。宗谷からオングル島までは直線で18キロ。毎日数十キロも走ってきたのだ。何も心配することはない。そう思っていたのです。ところが…。

絶対的エースで、常に犬ぞり隊の先頭を仕切るリキの様子がおかしいのです。走れと命令すれば、間髪入れずダッシュするリキ。右に、左に、指示通りに走るリキ。それが、まったく動こうとしない。おびえているようにも、自信なさそうにも見える。あのリキがこんなになるとは……

「どうした。なぜ出発しないんだ」。隊長の声にも、いら立ちが混じります。

「リキが動こうとしないんですよ」と北村さん。

寒いけれども天気は良く、真正面にオングル島がはっきり見えます。海氷の表面も、一見するところ平らで、障害物など何もない。巨大な白いグラウンドのように広がる氷雪の大地。それなのに…

しばらくして、北村さんは気づきました。

「そうか、だから走れないのか!」

つまり、こういうことです。

稚内では、毎日の訓練で同じ場所をぐるぐる回るので、犬ぞりの跡がくっきりついてしまった。つまり、レールがあるようなものです。犬たちは、それに沿って走ればよい。しかも周りには大きな木や岩などがある。それらは犬たちにとって目印にもなるのです。

ところが、初めて降り立った海氷の真っ白な大地は、360度、どこを見ても同じ景色。つまり目印になるものがない。だからリキは自信をなくしていたのです。

それでもオングル島まで、安全かどうかを確認しながら、ルートを作らなければならない。これは任務です。北村さんは、「大丈夫だよ」とリキに優しく声をかけ、出発を促しました。

するとリキは覚悟したようにすっくと立ち、走り出しました。リキの後ろに繋がれているほかの犬たちも一斉に走り始めます。犬ぞりが動き出しました。ところが……

北村さんが「まっすぐ走れ」と指示しているのに、犬たちは、右へ左へと蛇行してしまいます。勇気を出して走ったはいいが、やはり方向感覚が狂ってしまうのでしょう。

しかも、恐れていたことが起きました。一見すると真っ平に見えた氷雪原ですが、実はあちこちにパドルという深い水たまりができていました。気温が上がった時に溶けてしまった海水が、再び凍結するまでに至っていない場所。そこがパドルです。

島までは直線で18キロ。毎日数十キロも走ってきたのだ。何も心配することはない。そう思っていたのです。ところが…。

経験がない犬たちは、何度も何度もパドルに落ち、冷たい海水に身を沈めてしまい、大変なことになりました。北村さんらが必死に犬たちをパドルから引き上げ、再び走り出しますが、またパドルに落ちる。

そのうち、犬たちの肉球が破れ、出血し始めました。南極の氷雪原はスケートリンクのようなつるつるではなく、むしろギザギザなのです。そのせいで犬たちの肉球が破れてしまった。カラフト犬の肉球は本来分厚く強いのですが、数か月も船の中で暮らし、走り回ることもできなかったため、肉球もかなり柔らかくなっていたのです。

右往左往し、パドルに何度も落ちる犬ぞり隊。宗谷の艦内からこの様子を見ていた越冬隊長は「だめだな、こりゃ」とがっかりしました。

雪上車は大量の荷物を運べるが、故障の恐れがある。だからこその犬ぞり隊起用でした。期待は大きかったのです。

ところが、少しずつオングル島に近づくにつれて、犬ぞり隊の行動に変化が。まっすぐ走るようになったのです。そして、眼前にパドルが迫ると、操っている北村さんの指示がなくても、犬ぞり隊は右カーブ、左カーブを切る。安定してきた。不思議なことが起きていたのです。

後でわかったのですが、これは先導犬リキの、天才的な能力のおかげでした。リキも、初めのうちは360度同じ景色の環境に放り出され、まっすぐ走ることができなかったのですが、何か要領をつかんだのでしょう。直進できるようになったのです。先導犬が直進すれば、後に続く犬たちも直進できます。

また、リキは勘が鋭く、数回落ちたパドルが、「この先にもありそうだ」とひらめくと、指示されなくても自分の判断でコースを右か左に変えたのです。実は北村さん自身、パドルがどこにあるのか、まったくわからなかった。だから指示の出しようがなかった。人間ができないことを、リキは自分の判断で実行したのです。

ほんのわずかの間に、リキは学習し、同じ過ちを犯さないように行動したわけです。リキの存在が、越冬中に、多くの成果をもたらしました。

犬ぞりが急に安定して走り出した様子に、宗谷にいた越冬隊長は思わずバンザイをしました\(^o^)/

「よし、これならいける」

こうして、南極における犬ぞり隊の初陣は、前半失敗、後半はそれを取り戻す活躍を見せたのです。

特に、パドルはあるが危険な深さではないこと。氷が割れて雪上車が落ちるような危険性はないこと。この2点が確認できたことで、オングル島に越冬基地を建設する計画は一気に前に進んだのでした。

犬たちも大役を果たしてほっとしたことでしょう。任務を終えると、氷雪の上でくつろいだり、寝たりしました。

もし犬たちによる探査が失敗していたら、越冬基地の建設は大幅に遅れ、場合によっては計画変更も余儀なくされる。そんな可能性すらあったのですから、犬たちの頑張りは、本当に大きかったのです。

青い南極の氷の前に基地建設が危ぶまれ、関係者は南極の氷のように青ざめたでしょうが、犬たちのおかげで、見通しがついたのです。

ところで、今日のコラムを読んでくださった皆さんの中には「これまで、大きな勘違いをしていたんだ」と思った方も多いでしょう。

そうです。日本の越冬基地、名称は「昭和基地」ですが、ほとんどの人が「南極越冬基地なんだから、当然南極大陸にあるよね」と思い込んでいたのではないでしょうか。

実際には、南極大陸に昭和基地はありません。オングル島という、離れ小島にできたのです。

そしてもう一つ。この後、越冬隊と夏隊(この意味については次回にご説明します)らがオングル島に上陸し、「ここを昭和基地とする」と宣言する式典までおこなったのですが、実際の昭和基地は、宣言した場所にはありません。

この謎については、次回ご紹介します。そして、犬たちが全滅しかかった、恐ろしい事件が、実は起きていたことも。

(written by Free Dog)(不定期掲載)

【ミニ解説】 日本の南極第1次越冬隊は多くの犬を南極に連れて行った。しかし1年後、2次越冬隊との交代に失敗。結局15頭を鎖につないだまま南極に置き去りにした。全滅したと思われていたが、1年後、なぜかタロとジロの2頭は生きていた。世界中が驚き、「タロジロの奇跡」と言われている。

★このブログを書くにあたり、小学館集英社プロダクションの許諾を得ています。

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