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結果オーライ~タロジロの命を救った人為ミス

たとえば、ゴルフでミスショットして、ボールが林に……。「やっちまったア」と思ったら、ボールが木に当たって跳ね返り、そのままグリーンにオンして、ピンそばに。そういうことってありますよね。

二死満塁のピンチで、ピッチャーが痛恨の暴投。ボールはネットに一直線。3塁ランナー喜んでホームに突っ込む。ところが、ボールが偶然いい感じに跳ね返り、キャッチャーがつかんで、本塁カバーに入った投手に送球。タッチアウト。おお、ラッキー。こういうこともあります。

このように、失敗が偶然にもいい結果を生んだ。これが「結果オーライ」。失敗しちゃったんだけど、結果が良かったんだから、その経過は少々問題あったけど、まあいいじゃないの。そんな感じですね。

人生には、いろんな結果オーライがあると思います。

1957年2月15日。日本中の期待を背負った第1次南極越冬隊の越冬が始まりました。拠点となるのは南極大陸そのものではなく、いわば離れ小島のオングル島に建設した「昭和基地」です。

離れ小島というと、海にぽっかり浮かんでいるようなイメージがありますが、そこは南極。常識外の光景です。オングル島の周りの海は完全に凍っています。分厚い氷におおわれているので、雪上車や犬ぞりで自由自在に動き回ることができます。いずれは、南極大陸の奥地に入る探査も予定されていました。

第1次越冬隊の隊員は11名。西堀隊長を筆頭に、中野(医療)、藤井(航空。報道)、立見(地質)、大塚(機械)、菊池(地質、犬係)、砂田(調理)、作間(通信)、村越(気象)、佐伯(設営)、そして、北村泰一(設営・地球物理、犬係)の各隊員。

昭和基地は、パネル式家屋3棟と、かまぼこ型の発電棟1棟。家屋棟のうち、無線棟に西堀、作間、村越の3人が居住。主屋兼食堂に中野、砂田の2人。居住棟に、立見、菊池、佐伯、北村、大塚、藤井の6人という割り振りでした。

といっても、1人に1個室というわけではなく、雑居エリア的な感じです。

犬たちは、オス18頭は外で寝起き。メスのシロ子だけが屋内にいました。本当は、オスたちのために犬専用のエリアを建物内に作ったのですが、オスたちはどうも気に入らない様子で、外に出たがります。

「寒くて凍えるんじゃないか」と心配する隊員もいましたが、北海道よりさらに北のカラフトが原産地であるカラフト犬たちです。長い体毛を持っているのが多く、マイナス10度、20度ぐらいならちょうどいいのでしょう。 そこで、建物から少し離れた場所に柱を2本立てて、その間にワイヤーロープを張りました。そして、2,3メートル間隔で、犬たちを鎖でつなぎます。犬たちはそれぞれ、前脚を使ってガシガシと氷雪に穴を掘り、その中にすっぽり体を入れます。そうすると安心するのでしょう。それぞれの穴が犬たちの「マイホーム」というわけです。犬ぞり隊を編成して、遠方に探査に出かける時以外は、犬たちはここで生活します。

犬係となったのは、菊池隊員と、北村隊員です。菊池隊員は地質研究、北村隊員は超高層地球物理の観測研究という、本来の任務もあります。犬の世話、犬ぞりの操縦は、兼務ということになります。

南極で、もし犬が逃げ出したらどうなるか。100パーセント死にます。だって、昭和基地以外に犬たちの食べ物はないのです。映画では、凍った海面を前脚で掘って、氷の中に固まっている魚を捕って食べるシーンがありましたが、実際にはそんなことはありません。

「いや、ペンギンがいるでしょ」と思ったあなた。基本的には鋭い。だって、氷の上じゃのろそうですもんね。犬の餌食になりそうな気がします。実はですね。宗谷が南極に到達し、犬たちが船から降ろされたとき、興奮した一部の犬が、そばにいたペンギンを襲ったことがありました。「これは、うまそうな獲物だ」と思ったかどうかはわかりませんが、ペンギンを食べようとした犬は、途中で吐き出しました。ありていに言えば、超まずかった、ということでしょう。私もペンギンは食べたことがありませんが、犬も食わないわけなので、食材としては適していないようです。

のちに、犬たちが南極に置き去りにされ、1年後にタロとジロだけが救出された、戦後最大級の「奇跡的なできごと」がありましたが、北村さんは、その際、昭和基地の近くでペンギンが襲われた後を見つけました。

昭和基地にいたタロ、ジロが襲ったのだろうと推測したのですが、腹が減っているはずなのに、ペンギンを食べてはいませんでした。タロ、ジロは、ペンギンに遊び相手になってもらいたくて、ふざけているうちに興奮し、殺してしまったのかもしれません。

話が飛びましたが、犬を逃がしたら、間違いなく死ぬ。だから、逃げ出さないように、犬たちの首輪は常に固く締められていました。

毎日、19頭の犬にエサをやるのは、菊池、北村隊員の仕事です。部屋の中にいるシロ子はまだいい。問題は、外にいるオス犬18頭。干物などもあるのですが、主食は馬肉を中心とした犬用の缶詰です。温かい基地の中で、缶切りを使って缶詰を開けるのは楽です。しかし、離れたところにいる犬たちに運ぶ間に、中身がぼろぼろこぼれてしまう。仕方がないので、犬たちのそばまで缶詰を持っていき、その場で缶を開ける。この作業が実につらい。今みたいに、電動カッターなどないし、ぱかっと開くタイプのものもありません。昔ながらの缶切りでカシカシ切っていくしかない。これがつらい。マイナス20度の低温。吹き付ける強風。たちまち手はかじかみ、指先の感覚がなくなります。しかし、犬たちは「はやく、ごはん、ごはん」と騒ぎ立てる。腹をすかしているんだなあ、早く食べさせよう。そう思うのですが、なにせ18頭分です。「こりゃたまらんなあ」とお互い愚痴もこぼれようというもんです。北村さんは「あの作業が、越冬中で一番つらい作業だった」と振り返ります。

犬のご飯はそういう感じですが、では11人の隊員たちのご飯は、どうしていたのでしょう。もちろん南極観測船「宗谷」は、11人が1年間、十分栄養を取れるだけの食料を積んできました。

北村さんが私に語ったところによると、初期のころは、「こんなぜいたくな食事をしていいのか」と思うほどだったそうです。肉はステーキ中心。それも高級な牛肉です。ベーコン、ハム、ソーセージ。魚に野菜。チーズ、バター。なかなかのもんです。これには理由があります。

一般的に、日本人の男性が1日に必要なカロリーは2200キロカロリーぐらいです。しかし、南極ではほぼ倍の4200キロカロリー摂取が必須となります。これは、信じられないような極限の自然環境の中で活動を強いられるので、生理学的な消費カロリーが半端じゃないからです。

「なにせ、ビーフカツのサイズは草鞋(わらじ)ぐらいありましたねえ。でも、そんなのペロリなんですよ。自分でも不思議でした」と北村さんは言います。

草鞋と言っても、若い人は「それは何?」でしょうね。稲藁で作った昔ながらの「履物」が草鞋です。下のような感じで、これが靴代わりだったんですね。

余談ですが「二足の草鞋を履く」ということわざがあります。簡単に言えば、かなり業界が違う仕事を2つやることです。農業をやりながらIT会社を経営する、みたいな。本来は「二足の草鞋は履けぬ」という否定的な意味合いでした。例えば、刑事が夜は泥棒をするみたいな。それはないでしょ、と言う感じだったのですが。

また、「一歳上の女房は金(かね)のわらじを履いてでも探せ」ということわざもありますね。「年上の女性が奥さんになってくれると、あれこれ面倒見がいいから、男にとっては理想なお嫁さん。だから、擦り減らない重たい金属製の草鞋(そんなのはないと思いますが)を履いてでも探せ」と言う意味ですね。男女平等の意識がなかった昔の発想です。

最近、すぐ話がそれます。すみません。

さて、そういう高級食材ですが、いかにして保管するかが重要になります。

既に当時、電気冷凍庫はありました。一般家庭には普及していませんでしたが、業務用としてはあったのです。当然ながら、大型の電気冷凍庫はリストに挙げられ、ちゃんと宗谷に積み込まれました。それにしても、11人×1年分の食材ですからね。どんだけでかい冷凍庫だったんだろう。きっと、いくつも持って行ったんでしょうね。その辺はわからないのですが、とんでもないことが越冬開始前に判明しました。

確かに電気冷凍庫は昭和基地まで持ち込まれたのですが、電気冷凍庫を大型発電機つまり電源につなぐ機材(あるいはコード類かも)が無いではありませんか。これはえらいことです。いくら電気冷凍庫があっても、電源を得られなければ無用の長物。というより、そういう事態になると、冷凍食材を保管できません。いずれ腐って食べられなくなると、隊員たちは飢えてしまいます。まさに命の危機です。

さあ、どうする家康、じゃなく、どうする越冬隊。

じっと腕組みをしていた西堀越冬隊長は、カッと目を開くと、叫びました。「氷を掘るんだ。深い穴を掘る。そこに冷凍食材を保管しよう」

なるほど。それ以外に方法はない。早速、建物のそばの氷を掘り始めました。しかし、すぐに岩盤に突き当たってしまいました。前回お話ししましたが、南極大陸は、巨大な氷の塊が浮いているわけではなく、れっきとした大陸です。アフリカ大陸やアジア大陸と同じ。ただあまりに寒い場所にあるので、表面が分厚い氷で覆われているだけです。昭和基地があるオングル島も当然普通の島。掘ればすぐに岩盤に当たるのは道理です。さあ、どうする?

選択の余地はありません。カチンカチンに凍った海氷域まで行き、そこを掘る。基地の建物から約200メートル離れた「陸地と海の境目」あたり。そこが海氷域です。幸い、どこまで掘っても氷で、岩盤には当たらない。全員で3メートルほど掘り、そこから横へ掘り進める。地下室のようなイメージです。こうして冷凍食材を保管できる「氷の倉庫」が出来上がりました。電気冷凍庫ならぬ、天然冷凍庫です。これを2つ掘るという肉体労働を成し遂げたおかげで、隊員たちの冷凍食材は保管することができました。やれやれ。

当初は、天然冷凍庫の入り口にはふたをしていましたが、毎回食材を運び出すたびにふたを開くのは面倒です。しかも、ふたをしなくても、内部の温度は上がらないこともわかったので、常にオープンということになりました。入り口がオープンになっている。

実は、このことが、後になって非常に重要な意味を持ってくるのです。

食材を取りに来た隊員は、氷の階段を降りて必要な冷凍食材を運び出し、昭和基地まで運ぶのです。これは主に、コックの砂田隊員の役割でした。越冬開始からしばらくの間は、天然冷凍庫のおかげでゴージャスな料理を食べることができました。

ある隊員の誕生日。メニューはローストチキン、焼き豚、アマダイの酢漬け、タイの塩焼き、カニご飯、野菜サラダ、なんとバースデーケーキまで。

北村隊員は懐かしそうに語ります。「初めのころは、毎日のようにステーキやカツをたらふく食べられた。当時の日本は、毎日肉を食べられるなんて家庭は、ほとんどなかった。私も貧乏学生だったから、豪華な食事が一番楽しみで、南極越冬隊に選ばれてよかったなあ、って思ったもんですよ」

事件が起きたのは、越冬開始から3か月近くたった5月のある日。砂田隊員はいつものように天然冷凍庫の入り口から氷の階段を降り、食材が保存してある氷底に着きました。そこで信じられない光景を目にします。

なんと、氷の倉庫に海水が染み込んでいたのです。すでに、下の方に置いてあった冷凍肉類は海水漬けに。

「これは、ヤバイ」。砂田隊員は血相を変えて昭和基地の居住棟に駆け込みました。

「た、大変です。天然冷凍庫が海水にやられてます!」

「なんだと!」そこにいた全員が蒼白になりました。

食料を失ったら、越冬を続けることはできません。外国の基地に食料を分けてもらう手はありますが、何百キロも離れているし、彼らだって余分な食糧があるわけではない。日本から食料を追加で送ってもらうにも、宗谷はまだ日本に戻っていないか、戻ったばかりのタイミング。新たに食料を積んで昭和基地近くまでたどり着くには何か月もかかる。

危機を感じ取った隊員たちは一斉に天然冷凍庫に走りました。バケツリレーの要領で、まだ海水に浸かっていない冷凍肉などを運び出しました。

それらの肉類は犬ぞりに乗せて、もう一つの天然冷凍庫まで運ぶ。そこに待機していた別隊がどんどん中に運び込む。アンコ、ヒップのクマといった力持ちの犬を犬ぞりにつなぎ、先頭には抜群の方向感覚を持ち、一番賢いリキをつなぎました。

この運搬作業をした犬たちは、きっと肉類の匂いを嗅ぎつけ、食べたかったでしょう。しかし隊員たちの様子から「これは、ただごとではない」ということも感じ取ったに違いありません。一生懸命食材を運びます。

そのうち、人が誘導しなくても、自分たちで2つの天然冷凍庫の間を往復するようになりました。その分、人手を食材の運び出しと運び入れに割けます。これは、リキがいたからでした。リキならば「この2か所を往復し続ければいいんだ」ということが分かる。それほど、賢い犬だったのです。

作業が終わった後、海水にやられた状況を確認しました。かなりの分量がむなしく海水に浸かっています。それもほとんどが、隊員たちが一番好きなステーキでした。

「ああ、残念だなあ。もうステーキは食べられないのかなあ」と嘆く隊員。

「試してみよう」と、砂田隊員が一部の海水漬けステーキを料理しました。しかし、やはりしょっぱい。「こりゃ、だめだ」

「でも、犬なら食べるかも。なにせ、連中はアザラシの生肉をがつがつ食べるんだから」

そんな声が上がり、試しに何頭かに食べさせると、あっという間にたいらげてしまいました。確かに塩分過多ではありますが、犬にとってはメッチャごちそうだったのでしょう。

ところで、前回、南極観測船「宗谷」から荷下ろし作業中に、犬たちが集められていた氷が割れそうになった話を書きました。もし割れてしまったら、犬たちは、氷に乗ったまま沖合に吹き流され、冷たい海に転落して死んでしまうところでしたが、危機一髪で助けることができた、という内容でした。

その時書き忘れていたことがあります。犬たちは助かって本当に良かったのですが、実は犬たちの食料の多くは、割れた氷に乗ったまま沖合に流されてしまったのです。犬たちの1年分の食料の半分程度がなくなったので、これは大問題でした。人間のものを与えてもいいけれど、そうなると人の食料が減るのでカロリー維持が難しくなる。

そこで、窮余の一策として採用されたのが、アザラシでした。可愛い顔のアザラシ君には気の毒な話ですが、犬たちの命をつなぐために、食料になってもらうしかありません。

東京近辺の川にアザラシなど海洋生物が現れると、たちまち人が殺到し「タマチャン」などと名前を付け、果ては「タマチャンを守る会」だの「静かに見守る会」といったものができる現代の感覚ならば、「可愛いアザラシちゃんを犬のエサにするなんて、なんてひどいことを」ということになるのでしょう。

安全な場所で、好き勝手なことを言うのは簡単です。しかし、救援を期待することができず、自力でなんとかしなければカラフト犬を飢え死にさせてしまう。そんな極限状況の中で、アザラシを犬たちの食料にする。

その行為を誰が非難できるでしょう。非難できるとすれば、実現可能な代替手段を提案できる人だけです。解決案を示せないまま批判するだけでは、無責任というものです。

「いや、アザラシの命を奪うくらいなら、犬たちを飢え死にさせた方がいい」という意見もあるでしょう。それは一つの意見として尊重するべきだと思いますが、そういう極論では問題解決にならない。アザラシの命と犬の命の重さ。これを「どちらも同じ、大切な命」と言うのが一番簡単ですが無責任です。

大事故があった。たくさんの重傷者が病院に運ばれてきた。医師はどうするか。どの命も同じ命。その考えにしがみつくならば、病院に到着した順番に手当をすることになる。しかし現実には、医師はそんなことはしません。1番に運ばれてきた人が軽い切り傷なら後回しです。また、どう手を尽くしても絶対助かりようがない。それほどの重傷の方は治療しない。

それよりも、治療すれば助かる可能性がある重傷者を優先的に手当てする。つまり、不特定多数の負傷者がいる場合は、重傷の程度や緊急性を医学的見地から判断し、治療の優先度を決めるのです。これをトリアージと言います。阪神淡路大震災、東日本大震災などでこの言葉はかなり浸透しています。

それでも「トリアージは命の差別だ」と主張する人もいます。その意見を封殺するのは言論の自由がある日本では許されません。一定数、支持する人もいるでしょう。また、そうした現場の当事者にしてみれば、自分の治療を後回しにされたら、感情的に納得できない人もいるでしょう。家族にしても「よその人より、うちの子供を先に治療してください」と医師に食ってかかる人もいるでしょう。それを批判することはできません。

また、話がめちゃくちゃ飛びましたが、60年以上前、やむなくアザラシを殺し、その肉を犬たちに与えたのは事実です。それ以外に選択肢はなかった。「いや、南極海にも魚はいるでしょう。魚を釣って食べさせればいい」と言った人もいました。

では、魚の命はアザラシよりも低いのでしょうか。そういうことを言い出すと、そもそも人間は牛や豚の肉を食べているではないか。牛や豚の命は人間より劣るのか、という、無茶苦茶な論理が飛び交うようになってしまいます。そういうのは不毛の議論でしょう。

とにかく、犬用食料としてアザラシの肉を与えることになった。隊員たちは「ごめんね」と念じながら、銃で狩猟したのです。昭和基地には、3本の鉄柱を組んだやぐらのようなものが作られ、かわいそうですが、アザラシはそこにつるされます。そして、アンコウをさばくような感じで犬たちの食料になっていきました。

しかし、アザラシを切り分ける作業をする隊員にとって、アザラシが発する臭いは強烈の極みだったそうです。ところが、犬たちは嬉しそうに食べました。よほどおいしかったのでしょう。

「よくもまあ、あんな臭いのする肉を食べるもんだ」という記憶。それが、目の前にある、海水漬けのステーキとつながりました。

「あの臭いアザラシの生肉を食うくらいだから、この極上ステーキ、海水漬けといっても、案外食べるんじゃないか」。そう言いだした隊員の一人が海水漬けステーキを与えると、なんと犬たちは大喜びで食べたのです。

「しょっぱくないのかなあ」と、不思議そうな隊員たち。

犬の味覚が塩分に対して鈍いのかどうかわかりません。でも、少なくとも塩分の摂取しすぎでしょう。ところが、この海水漬け生肉をたらふく食べたタロという犬は14歳7か月も生きました。タロの例だけでいえば、肉体的なダメージは少なかったのかもしれません。

大型の電気冷凍庫をわざわざ日本から南極まで持ってきたのに、電源関係の部品がなかったことで使用不可能になった、という痛恨のミス。

代替措置として掘った天然冷凍庫だったが、そのうちの一つに海水が染み込み、保管していたステーキ肉類の多くが、人間の食料としては適さない状態となり、その天然冷凍庫は放棄されたという、二番目のミス。

しかし、この度重なるミスが「結果オーライ」となり、その後「タロジロの奇跡」と言われる、戦後最大級の大ニュースを生むことになるのです。この結果オーライがどうつながったのか。その詳細をお伝えするのは、かなり先になります。

今回は、またも脱線が多く、前回お約束していた「第二の先導犬」までたどりつけませんでした。次回は、そもそも、先導犬とは何か。南極では、先導犬がどれほど重要な存在なのか。どうやって先導犬を決めるのか、といったことについてお話しします。

「先導犬」。この犬が南極基地にいたこと。これが、「タロジロの奇跡」を生んだ、もう一つの理由となってくるのです。

(written by Free Dog)(不定期掲載)

【ミニ解説】 日本の南極第1次越冬隊は多くの犬を南極に連れて行った。しかし1年後、2次越冬隊との交代に失敗。結局15頭を鎖につないだまま南極に置き去りにした。全滅したと思われていたが、1年後、なぜかタロとジロの2頭は生きていた。世界中が驚き、「タロジロの奇跡」と言われている。

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