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南極で犬たちは何を食べていたのか。。。

あらゆる生き物は、食べものを摂取しなければ生きていけませんね。最近、東北を中心に、九州以外の各地で、住宅地にクマが出没し、襲われて死んだ方もいます。山にあるドングリの実が少なく、食べ物を求めて住宅街で食料を探しているのです。

いろんな意見があります。

人が襲われるなどとんでもない。かわいそうだけど、駆除するしかない。

山に帰してあげればいいだけであって、射殺するのは動物保護精神に反する。

そんなことを言うのなら、あなたの家にクマが入り込んできても、喜んで自分が食べられても構わないんだな。

それは嫌だけど、そもそも、クマが生息していた山間地域に、人間が宅地開発をして住み始めたから、人とクマの距離が近くなった。元々の原因は人間がクマのテリトリーを奪ったからなんだ。

といった具合に、この問題は解決の糸口が見つかりません。ただ、根底にあるのは「食料」という問題です。

クマも食べるのに必死ですが、人間だって必死です。SDGsという言葉はかなり浸透してきましたが、その1番目には「貧困をなくそう」、2番目には「飢餓をゼロに」とか書いてあります。

しかし実際はどうか。ユニセフ(国連児童基金)や世界保健機関(WHO)が共同で発表した食料安全保障最新報告書によると、実に世界で8億2,800万人が飢餓に直面しています。日本の人口の7倍近い人々が、飢え死に寸前になっています。

SDGsの理念は立派ですが、現実は大きくかけ離れています。世界史をひもといても、戦争を起こす理由の一つは食料でした。あるいは食料を手に入れるための資源を奪うため。食料を奪うのは、ある意味本能でしょう。生きていくために絶対に必要だから。その食料が突然なくなったら、あなたはどうしますか。

この重大な危機に直面したのが、のちに南極に置き去りにされ、エサが無い状態で生きていかなければならなくなったカラフト犬のタロとジロでした。この兄弟犬は、食べ物がない南極でどうやって1年間も生き抜いたのか。それについては、別の回で詳しく述べます。今回は、南極で頑張ったカラフト犬たちが、越冬中に何を食べていたかについて、書きます。📝

日本の第1次南極観測隊を乗せた南極観測船「宗谷」が南極に着いたのは1957年1月20日でした。

ここで少し、日本の南極基地「昭和基地」の位置関係を知ってもらいたいと思います。少しわかりづらいので。

上の図は、上空から見たものと思ってください。

左の青色の部分は、南極海です。氷で覆われているけれど、氷はそんなに分厚くないので、南極観測船「宗谷」は氷をバリバリ割りながら進みます。しかし、氷はどんどん分厚くなり、とうとう「宗谷」では割ることができないところまで来る。それが、上の図の青い部分の右端です。小さく「宗谷」と書いてある赤い印が「宗谷」がストップした場所です。

右端のグレーの部分が、南極大陸です。よく勘違いしている人がいますが、南極大陸は巨大な氷の塊が海に浮いているわけではありません。アフリカ大陸から分離して、南へ南へと大陸ごと移動し、現在の位置で安定した。そこはものすごく寒い場所で、ほぼ一年中雪が降る。元々は岩や砂でできていた南極大陸は、気の遠くなるような年月を重ねて、雪が積もり、ものすごい圧力で氷河となり、その上にさらに雪が降り積もり…を繰り返し、現在のように、「まるで氷でできたような巨大な大陸」になったのですが、ぷかぷか浮いているわけではなく、アメリカ大陸やアジア大陸と同じ、大陸なのです。

南極海と南極大陸の間の、ライトブルーのエリア。ここも、南極海なのですが、ものすごく分厚い氷で覆われていて、人や犬はもちろん、雪上車だって走れます。平らな氷の平原のようなもの。ただ、自然は生きていますから、時折、氷が割れたり、巨大な穴が空いたりします。危険な場所です。

日本の南極観測隊は、当初は南極大陸に上陸して、基地を作るつもりでした。ところが現地にたどり着くと、南極大陸の縁は高い氷の壁になっている。人は何とか登れても、雪上車は上陸できない。そうなると、基地を建設する資材や1年間の食料、観測機器を運べない。

「これは困ったぞ」となったわけですが、不幸中の幸いというか、ライトブルーのエリアに、小さな島を発見。オングル諸島です。偵察したところ、雪上車も上陸できることが判明。「よし、大陸じゃないが、ここも南極。この島に基地を造ろう」ということで、完成したのが「昭和基地」だったのです。ここを拠点に、11人の越冬隊員は、気象、海洋、地質、地球物理などの観測調査を行ったのです。

「宗谷」からオングル島に物資を運ぶため、多くのものがライトブルーの端に降ろされました。次々に物資がオングル島に雪上車で運ばれます。ところが2月11日。突然、物資をおろしていた当たりの氷が割れました。割れた氷は、青いエリアの南極海の方向に押し流されて行きます。

しかも、これから南極で活躍するオス犬18頭とメス犬1頭も、割れた氷のあたりにいました。これ以上氷が割れたら、犬たちまで沖合に流されてしまう。「大変だ、犬が流されるぞ」。皆の必死の作業で、犬たちは何とか1頭も犠牲にならずに済みました。しかし、貴重な犬たちの食料の何割かが、割れた氷の上に残されたまま沖合に流されました。犬たちはいきなり自分たちの食料の何割かを失ったのです。代わりに人間の食料を与えればいいじゃないか、と思うでしょうが、人間の食料だって、潤沢にあるわけではないし、食べ物によっては犬の健康に良くないものもある。なんとかしなくてはならない。まだ基地もできていないうちに、1次越冬隊は大きな問題を抱えてしまいました。

越冬が始まりました。しかし、南極の冬(3月から7月ごろまで。北半球とは真反対です)の間は、あまりに条件が厳しいので、観測作業は基地周辺だけ。犬ぞりを使った長距離探査は8月になってからです。犬たちはそれまではやることがなく、昭和基地の建物の近くにつながれ、のんびり過ごしています。

しかし、食料は定期的に与えなければならない。この担当は、「犬係」となった北村泰一隊員と、もう一人の隊員です。「若いから」だけでなく「犬ぞりを操れる」からでした。この日本で、ペットの犬にエサやおやつを与えるのは何の問題もありません。(重篤な病気を抱えているワンちゃんたちは別ですが)ドッグフードや、ちゅーるナントカなどを与えればよいだけなので簡単です。ところが南極ではそう簡単にはいかない。

カラフト犬たちの食料は、主に3つです。クジラ肉を中心にした缶詰。魚の干物。犬ぞりで遠征する際に与えるぺミカン。ぺミカンは、肉や脂肪類を圧縮乾燥させた携帯食料です。軽くてエネルギー源になるので重宝します。

北村隊員にとって、缶詰の肉を与えるのが一番つらい作業でした。最初は、基地の中で缶詰のふたを缶切りでコキコキと開け、犬たちが待つ場所まで約100メートルから200メートル運ぼうとしたのですが、これが大失敗。18頭もいるので、板切れに載せて運ぼうとすると、雪で滑って全部がパーに。仕方がないので、犬たちの居る場所で缶詰を開けることにしたのですが、これが本当につらい。今の缶詰のように、プルトップをカパッと引けば上蓋部分が一気に取れるものなど存在せず、昔ながらの缶切りでコキコキ手を動かして開けるしかない。マイナス20度、30度の、強風が吹き付ける中で、この作業をするのは本当につらかったそうです。手がかじかみ、感覚がなくなる。ひげやまつげが凍り付く。寒さで震える。犬たちは「早くくれ」とわんわん大騒ぎ。エサをやり終えるとへとへとになって建物に戻り、ばったり倒れて寝たそうです。

じゃあ、魚の干物をあげればいいじゃん。そうですよね。そのほうが楽です。ところが、これが不味いらしい。犬たちは、肉の匂いがすると大喜びですが、魚の干物だと「なんだ、これかよ」と鼻を鳴らします。不満なのです。もともと干物は添え物的な食べ物ですしね。

しかも、適当に与えればよいわけではない。与える順番があるのです。カラフト犬は序列を作ります。わかりやすく言うと、優秀な犬、ケンカが強い犬が先にエサをもらう。普通の才能の犬はその次。出来の悪い犬はその次。そして一番チビのタロとジロは最後です。この順番を間違えると、犬たちは激しく怒ります。また混乱もします。すると、犬ぞり隊としてのチームワークにひびが入りますから、順番はとても大切なのです。

ちなみに、最初にもらえるのは「先導犬」のリキです。先導犬とは、前にも書きましたが、犬ぞり隊の先頭に立ち、すべての犬を率いて前進する、リーダー犬。キャプテン犬です。ソフトバンクホークスで言えば柳田。日本ラグビー代表で言えばリーチ・マイケル。

さて、エサを与えてしまえば終わりかというと、そうじゃない。18頭のオス犬たちは、仲が良いのもいれば、悪いのもいる。強い犬もいれば性格が弱い犬もいる。強い犬は自分の分を食べ終えると弱い犬のを分捕ろうとする。弱い犬も腹は減っているから「はい、どうぞ」と差し出すわけにはいかないので喧嘩になる。それを止めに入るのも犬係の役割です。

南極に来てまだ1歳という、最年少のタロ、ジロは体も小さく力も弱いので、最初のころ、よく標的にされました。力ではほかの犬の到底かなわないので、エサを奪われてしまう。ところがある時、事件が起きたのです。いつものように「君らのエサは、僕が頂くからね」と横取りしようとした犬に、猛然と襲い掛かった犬がいました。リキです。リキは強いリーダーシップがあるだけでなく、実は喧嘩も強い。リキに叱られた犬は尻尾を巻いて退散。リキは、タロとジロがエサを食べ終わるまで、そばを離れず、他の犬たちに「お前ら、この子らの食い物を奪うんじゃない!」と威嚇していました。犬たちは縦につながれており、リキと、タロとジロは端っこだったので、かなり距離があった。なので、リキは、タロジロがエサを奪われていることに気付かなかったのです。しかしこの日は、リキの首輪の締めが弱かった。それでリキは首輪を抜け、犬たちの間を進んでいるうちに、タロとジロがエサを奪われそうになっているのに気づき、激怒したわけです。

平常時は、犬たちの首輪はそんなにきつく締め付けてはおらず、時折抜け出す犬は結構いました。しかし遠くに行くことはなく、呼べば戻ってきます。犬たちも、昭和基地を離れるのは危険であること、ここ以外に食料は無いことを知っていたからです。

しかし、何か月かたって、犬用エサの残量を正確に計算すると、やはり、沖合に流されて行った分が、当然ながら足りない。と言って、人間用の食料も、前に書いたように、海水が冷凍肉に浸ってしまって何割かを失った事件があり、犬に分け与える余裕など1グラムもない。窮余の一策として、かわいそうだけど、アザラシを捕獲して、その肉を犬に与えてみよう、ということになりました。この話は前にも書きましたが、今回は「それって、残酷じゃない?」と思う方もいると考え、もう一度、書きます。

基地には小銃があったので、アザラシを見つけると「ごめんなさい」と謝りながら射殺。死んだアザラシを、いわばアンコウをさばく時のようにつるして、肉をそぎ落としていきます。

アザラシは数百キロもあるので、肉の量はたっぷりある。問題は、犬たちが「ゲッまずい」と思うかどうかです。しかし、カラフト犬は、もともと北海道のさらに北にあるカラフトにいた野犬のようなものですから、生肉は大好物だったのです。隊員がアザラシの肉を切り始めると、「早くくれ」と大騒ぎ。これで犬の食料問題は、なんとか乗り越えられる見通しがつきました。ただし、ペンギンの肉はおいしくなかったようです。ある時、ある犬がペンギンを襲って食べたのですが、すぐに吐き出しました。ペンギンの肉はまずかったのでしょう。

ここまで書くと、いろんな声が聞こえてきます。

「アザラシを殺して食べるなんて、かわいそう」

「アザラシには何の罪もない。人間用の食料を減らしてでも、南極の動物は殺しちゃいけない」

そうですね。何の罪もないアザラシにとって、命を奪われることは理不尽。動物愛護精神が満ちている現代社会では、残虐な行為という判断が当たり前です。十分な食糧があり、少々値上がりしたとはいえ、食料強奪や暴動など起きていない日本に住んでいれば、アザラシを殺して犬に食料として与える行為は「自分にはとてもできない。人として許されないでしょう」と主張するのは当然だと思います。

今生きている、誠実で、モラルを守る生活をしているあなた。あなたが海水浴に行った。沖合に流され、どこか知らない無人島に流れ着いた。何の食べ物もない。飢え死に寸前。もうだめだ。しかし、ふと見ると、目の前に、アホウドリが生んだばかりの卵が2個あった。しかし、この卵からは、やがて可愛いヒナがかえるのだ。その命を奪うなどできるものか。だから、私はこの卵を食べずに、飢え死にすることを選ぶ。それが人間というものだから。その尊い意志によって、あなたは死んでしまう。そういう人生の選択もあっていいと思います。また、卵を食べ、なんとか命をつなぎ、翌日、捜索していた救助船によって命が助かるということも、あっていい。

私はかつて、太平洋戦争史上、最低の愚策といわれたインパール作戦に駆り出され、奇跡的に生き延びた元兵士を取材したことがあります。

それは1944年3月から7月まで、ビルマ戦線で行われた、当時イギリス領だったインド帝国北東部の都市インパールを攻略する無意味な作戦でした。作戦自体も無意味、ずさんだったが、何より、リーダーである牟田口廉也中将があまりにも無能で、そのために多くの日本兵が死んだとされます。とりわけ問題視されたのは、兵站(へいたん=食料)の無視。十分な食糧なしで戦ったことが大敗北の元凶だったのです。なんといっても、戦闘で死亡した日本兵よりも、撤退時の死者が多かったのですから。もともと食料がないのだから、何が起きるか。それはまだ生きている日本兵が、死んだばかりの日本兵にむらがり、肉を切り分け、食べた。そうして生き延びたのです。私が取材した日本兵は、幸い後方支援だったので、その経験はなかった。前線からなんとか帰り着いた兵士から「戦友の肉を食べてしまった」という告白に戦慄したのです。当たり前ですが、このインパール作戦は失敗。史上最低の作戦と言われています。しかし牟田口はとっとと東京に戻り、何の責任も取らぬまま、戦後は「作戦は正しかった。相手の指揮官も、手ごわい相手だと自分を評価していた」などと正当化したまま、この世を去りました。あの世に行って、「白骨街道」と呼ばれた悲惨な地で飢え死にしたり、蛆虫に食われてしんだり、仲間に食われた元日本兵たちにも、同じことを言ったのでしょうか。

長々とこの点について書いたのは、人間を食う人間だっているんだから、アザラシを犬のために食わせて何が悪い、と居直るためではありません。

人は立場によって物を言うけれど、違う立場にあった人がやったことに対する批判、批評は、時代考証や環境をも包括的に考えて言わないと、アンフェアだ、ということです。

南極の話で言えば、世界で初めて南極点に到達したノルウェーのアムンゼンは、何十頭という犬を連れて行きました。もちろん、多くの荷物をソリで引かせるためで、この点は日本の南極観測隊と同じです。決定的に違ったのは、アムンゼンは、犬たちを運搬用の動物として、だけではなく、自分たちの食料として初めから計算していたという点です。物を運び続ければ犬は当然疲れる。その中でも特に疲れ切ってしまい、これ以上は役に立たないという犬は次々に撃ち殺して、その夜は犬肉パーティをしていた。隊員たちはエネルギーを補充できる。一方、犬ぞりはどんどん荷物が軽くなる(普通の食料もどんどん消費していくから)ので、犬の数が減っても大丈夫。冷酷とも思える非情な計算によって、アムンゼンは南極点一番乗りを果たしたのです。

これを、今の動物愛護精神の観点から裁くならば、100%有罪です。しかし当時の社会では、犬はいまのような扱いは受けていなかった。牛や馬と同列だった。牛の肉を食べるように、犬の肉だって食べたのです。今も中国や韓国では犬の肉を食べます。それを当のノルウェーはじめ欧米各国は「残酷だ」と批判しますが、中国や韓国からすれば、特にノルウェーに対しては「どの口が言っとるんじゃい」と言いたいでしょう。日本だって、戦後間もないころまで、一部の地域で犬を食べていました。

今回は、南極越冬隊の犬たちは何を食べていたのか、について話すつもりでしたが、犬が食べられる話にまで広がってしまいました。

しかし、見る角度を変えると、いろんなものが見えてくる、という点で、書いた意味はあるかなと思います。

今回のコラムは賛否両論あるでしょう。

「越冬隊がアザラシを殺した事実を正当化しているだけじゃないのか」

「そもそも、人間や犬が南極に行ったこと自体が、生態系を狂わせている。あらゆる国の越冬隊は南極から去るべきだ」

いろんな意見が言える。それが民主主義のいいところです。大切なところ。そこから議論が生まれ、思考が昇華し、新たな思想が生まれる。いい、悪い、の二元論ではなく、多様な考え方、多様な生き方、多様な性、多様な生活習慣、多様な宗教、多様な習俗。それらを包含して認め合い、侵食せず、しかし手をつなぐことができるところは握手する。そうした柔軟な発想が、この混迷を深める一方の21世紀を救うことになるのかもしれません。

今、世界を揺るがせているガザ地区のハマスの奇襲。それに対するイスラエルの報復。宗教と民族という、最も難しい問題が背景にあります。

現在の価値観で過去をさばいてはいけませんが、このような不毛の争いが何十年も続いている元凶は、英国の二枚舌外交にあり、その陰謀に暗躍したのが映画「アラビアのロレンス」で一時はヒーロー扱いされていた人物であったことについても、私たちは考えなければならないのではと思います。

「イスラエルも、パレスチナも、いつまでバカな戦いをしてるんだ。いい加減にしろよ」と言いたくもなるのはわかりますが、歴史上起きたことは、必ず過去に原因がある。そうした思考を忘れないことは、いかに時代が短文や、写真や映像に引きずられるSNS社会になったとしても、大切なことだと思うのです。

次回のテーマは未定です。👻

(written by Free Dog)(不定期掲載)

【ミニ解説】 日本の南極第1次越冬隊は多くの犬を南極に連れて行った。しかし1年後、2次越冬隊との交代に失敗。結局15頭を鎖につないだまま南極に置き去りにした。全滅したと思われていたが、1年後、なぜかタロとジロの2頭は生きていた。世界中が驚き、「タロジロの奇跡」と言われている。

★このブログを書くにあたり、小学館集英社プロダクションの許諾を得ています。

その犬の名を誰も知らない | ShoPro Books(小学館集英社プロダクション)|アメコミ(DC・マーベル)他その犬の名を誰も知らない

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