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南極観測成功のカギを握る先導犬

わたくし事で恐縮ですが、今日は、少し我が家の犬の話をします。いきなり脱線ですみません。

阿蘇山の近くにある「柴犬の里 高遊荘」

柴犬の里
高遊荘 | 柴犬の里 | 高遊荘 | 施設案内 | 柴犬の里 高遊荘は南阿蘇の広大な自然の中にあり阿蘇山を一望できる素敵な環境です

ここで生まれた黒柴の赤ん坊が我が家にやってきたのは2006年。17年前のことです。

女の子で、ころころした丸っこい体をみて「マル」と名付けました。本名は「阿蘇の彩美号」っていいます。ちなみに、お父さんの名前は「阿蘇乃黒徹号」、おじいさんの名前は「司の龍王号」。なんだか、すごい名前ですよね(笑)

我が家に来た時のマルは、片手で軽々持てるくらい、ちっちゃくて、とっても可愛い子でした。高遊荘は柴犬専門のブリーダーさん。健康な血統の犬ばかりいるという話を聞いて「ここで譲ってもらおう」と訪ねたのですが、最初は普通の茶色の柴犬しか頭にありませんでした。

ところが高遊荘を訪れた時、たまたま黒柴の赤ちゃんがたくさん生まれていて、とっても可愛かった(もちろん、茶色の柴犬も可愛いですが)ので、「黒柴にしよう!」と決めたんです。

赤ちゃん黒柴がたくさん折り重なって遊んでいる様子をじっくり見ていると、一番下で、小さな足をばたばたさせている子がいました。他の子は男の子で、やはり少し大きく、力も強い。一番下の子だけが女の子で、それがマルだったのです。

お兄ちゃんたちの下敷きになりながらも、小さな肉球を一生懸命突き出して、なんとか下から上に行こうとする姿が可愛くて「この子にします!」。それは、運命の出会いと言うほど大げさなものではなく、「この子を育てたい。一緒に遊びたい。ずっと一緒に暮らしたい」という単純なものでした。世の中、そんなにドラマチックなものではありません。

譲り受ける時、「高遊荘」を経営する宮崎一孝さん(柴犬が好きすぎて、サラリーマンを辞め、ここを経営している、筋金入りの柴好きさんです)から2点、教えられました。

①この子の父親は日本一の血統。姿かたちだけでなく、強い体、内臓を持っているので、大きな病気にかかることはまずない。しかし、強い体を持つだけに、メスでも食欲旺盛になるかもしれない。絶対エサをやり過ぎないように。太るから。

②この子の太い前脚を見れば、脚力がとても強いことが分かる。しかし、その遺伝子をしっかり開花させるために、十分な運動を必ずさせてください。精神的な安定という意味でも、必要ですよ。

それから17年。

私には「飼い主の責任感」が乏しかった。マルがおやつを欲しがると「おお、そうか、そうか、おなかが空いたのか」と、いくらでもおやつをやったために、とんでもないメタボになってしまいました。その名の通り、体形がマルくなってしまったのです。 「さすがに、これはまずい」と、その後、心を鬼にして食事コントロールをしたことで、どうにかメタボ状態は脱出しましたが、今でも9キロもあります!完全に、私の責任です。

散歩。これが大変。マルが我が家に来たころ、私はIT会社の社長をしていました。時代がネット時代へと急速に進化していった頃だったので、仕事は順調でしたが、超多忙だったのです。社長だからこそ、社員より早く帰ってはいけない。それは私のポリシーだったので、当然、毎晩帰るのが遅い。

それでも、家族は寝静まった深夜、マルは玄関で私を待ってくれていました。いろんな仕事上の問題を抱え、ぐったりと疲れ切ってドアを開けると、きれいなお座りで、マルがそこにいる。そして、私にとびかかってくる。「遅いよ~」とでも言っているかのように。

その瞬間、すべての気苦労が消し飛び、幸せな時間が舞い降りてくるのです。

それから、マルと深夜の散歩。本当はとりあえずビールを一杯、と思わないでもないのですが、マルが「早く、散歩、散歩!」と外に出たがるので、スーツ姿のまま深夜の散歩です。でも幸せな時間。 そして翌朝。6時には起きて、朝の散歩。これが1時間。近くのPayPayドーム、当時は、福岡ドームと言ってたんだっけ?。その裏にあるビーチまで。マルはビーチの砂を思いきり掘って遊ぶのが好き。でも波打ち際にはいかない。どうも海が苦手だったようです。この朝の散歩は大変なんだけど、大切な時間でした。

去年の今頃のことです。ヒルトンホテル前にある公園で、リードをつけて遊ばせていた時、突然マルが、後ろの左足を引きずり始めました。本当に、何の前触れもなく、突然だったのです。

私は青ざめました。「どうした、マル!」。

骨が折れているようではない。もし折れていたら、キャンキャン叫ぶでしょう。痛がってはいないけれど、足を引きずる。とにかく、お医者さんに診てもらおうと、すぐ近くの動物病院へ。

検査の結果は、骨折はなし。特に異常はない。でも、足を引きずる原因は不明。「筋を痛めたのかなあ」。原因が分からないので、治療のしようがない。とりあえず、無理な運動はさせない。痛がるようであれば、安静にさせておく。そういう、対症療法しかないわけです。

そうやって、だましだまし、軽い運動をさせていたところ、去年11月のある日、突如、マルが走り始めました。昔のようなダッシュではない。ごく軽い足取りですが、それでも走っている。

私は涙が溢れました。「マル、治ったのか?よかったな~!」

マルも、「あれ?私、走れる!」と喜んでいるように見えました。

しかし、それは原因不明の一時的回復でした。今年の正月ごろには、再び、足を引きずるようになりました。しかも、以前より踏ん張る力がなくなったのか、まっすぐ歩けません。左の後ろ脚がさらに弱ってしまい、自力で歩かせると、左へ、左へ、と円を描くようにしか動けないのです。10メートル歩いては、ばったり倒れます。マルは必死に自力で立ち上がり、また歩く。そして、また倒れる。

助けてあげたい。でも、自力で動こうとする意志があり、なんとか立ち上がれる体力があるのだから、助けないほうがいい。助けてしまったら、もう自力で立とうという気力がなくなるのではないか。そう思って、私はそばで見守っています。これは辛いです。そんな状態が今でも続いています。

マルは今年5月9日で、満17歳になりました。柴犬の平均的寿命は14~15歳といいますから、とても長生きしてくれています。

しかし、夜はなかなか大変です。突然、大きな声で鳴いて、私を呼びます。

今、マルは私の寝室で、一緒に寝ているのですが、「おしっこしたい」「水が飲みたい」「おなかがすいた」という意志を、鳴き声で伝えるのです。

それが、午前1時、3時、5時、6時と連続すると、私は満足に眠れません。もうろうとした状態で、ぼんやり水を与えていると、マルがたまたま水を入れた容器を前脚で抑えてしまうことがあり、はずみで水が床にこぼれます。水浸し。

つい、カッとなってしまいます。しかりつけたくなる。人間ですから、感情がコントロールできなくなる。

そういう精神状態がもっとひどくなると、虐待したりする人もいるかもしれません。

私もカッとなるときがあります。「もう眠くてたまらないのに、なんで何回も起こすんだ!」と。

でも、そういう時、必ず思い出すことにしているのです。

マルと暮らしたこの17年。楽しかったことを、たくさん。

海に行って遊んだ。ボール遊びした。雪の中を散歩した。落ち葉がきれいな雷神社で、毎年必ず写真を撮った。大濠公園の桜、紅葉。大分の渓流。一緒に食べた阿蘇のソフトクリーム。一歩も走らなかったドッグラン。(笑)🤣

海外旅行から戻った時、預かってもらっていたペットホテルで、私に思いきりとびかかってきて、顔中を嘗め回したマル。

もしマルが我が家にいなかったら……。あんな幸せな時間は、1秒もなかった。

マルがいてくれたから、マルがそばにいてくれたから。

そんなことを思い起こせば、水をこぼすぐらい、なんてことはない。

マルは何も悪くない。ただ、年を取っただけ。ボケてきただけ。

だから、この先、どれくらい生きてくれるのかはわかりませんが、その時が来るまで、一生懸命マルを介護する。愛情込めてマルの命を守る。それが今の私にとって、最高に幸せな時間なのです。

一日の大半を、リビングのソファの近くで寝て過ごすマル。テレビなどつけず、本を読みながら、マルの呼吸を感じる時間と空間。なんと幸せなことでしょう。

マルがうちにきてくれた。この奇跡を、神様に感謝せずにはおられません。

皆さんのおうちにも、かけがえのないワンちゃん、ニャンちゃんがいることでしょう。その子たちも、いずれは年老いていきます。いろんな、大変なことに直面します。けっこう、精神的、肉体的にきつい期間があります。

人間ですから、感情的になることもあります。そういう時は、楽しかった思い出を、必ず思い出すように。どうか、ご自分で習慣づけておいてください。

それが、ワンちゃん、ニャンちゃんだけでなく、あなた自身の幸せになるからです。

さてさて、過去一番の大脱線をしてしまいました。😅

今回は南極観測事業の成功のカギを握る「先導犬」について、お話しします。

「先導犬」という言葉からなんとなく想像していただけると思いますが、その名の通り、「先導する犬」です。「なんじゃ、それは」と思うかもしれませんね。

もう少し具体的に言うと、犬ぞり隊の先頭に立つ犬のことです。

上のイラストのように、犬ぞり隊は、数頭から、十数頭の犬がロープや鎖でつながれ、一番後ろの「ソリ」を引っ張ることで移動します。犬たちが一体となって、人間や荷物を積んだ犬ぞりを引っ張るのです。

つまり、犬たちはエンジンであり、ブレーキでもある。そして、犬たちに「進め」「止まれ」「右へ行け」「左に行け」の、4つの命令を下すのが、犬ぞりを操る人間です。

先導犬については、6回目のコラムにも少し書いています。先導犬になれる資質は、他の犬よりはるかに優れた方向感覚と危険察知能力を備え、リーダーシップがあること。そう言ったのは、北海道大学の犬飼哲夫教授でした。

犬飼教授は、こうも言っています。

「先導犬は数十頭、数百頭に1頭いるかいないか。それほど貴重。優れた先導犬がいれば、犬ぞりはリズミカルに、スピード豊かに走る。あまり優秀ではない犬が先導犬の役割を担うと、犬ぞりはあっちに行ったりこっちに行ったり。イライラした犬同士でけんかが始まります。とはいえ、カラフト犬は馬鹿じゃない。何より、目の前の人間の資質を見抜く。『こいつはダメな奴だ』と烙印を押された隊員では、犬ぞりはコントロールできません」

確かに、犬たちだけで犬ぞりを引いても、ちゃんと走れません。人間が必要です。でも、だれでもいいかといえば、そんなことはありません。犬ぞりを操るだけのテクニックを持っていることが大前提となりますが、実は、それ以上に大切なのは、犬たちと人間の呼吸がぴったり合うことです。もっと言えば、犬たちが、命令を下す人間を信頼するかどうか、ここがとても大切になります。

65年ほど前、南極に連れて行かれ、1600キロも犬ぞりを引かされ、最後の最後に、南極の昭和基地に、鎖につながれたまま置き去りにされた15頭の犬たち。

そのうち、タロとジロの2頭だけは生き延びたわけですが、他の何頭かは鎖から逃れられず飢え死にしました。なんとか鎖から逃れた数頭も、結局行方不明のままで、現在も遺体は見つかっていません。思い返せば、なんて残酷なことをしたのでしょう。

1956年3月20日。北海道稚内市。ここに「南極学術探検隊 樺太犬訓練所」という看板が立てられました。以前、少し書きましたが、北海道中から集められた数十頭のカラフト犬が暮らす飼育所と、犬を訓練する南極観測隊関係者や協力する北海道大学の学生たちが寝起きする管理所が建設されました。ここでおよそ半年にわたる犬ぞり訓練が行われたのです。

選ばれた犬たちだけに、ソリを引く能力は問題なし。もちろん、厳しい訓練に耐えられず脱落していく犬もいますが、多くの犬たちは、徐々に技術力を上げ、同時に、誰が上で誰が下なのかを察知するようになり、序列ができていきます。

しかし、この序列と、先導犬に適しているかどうかは別問題。いろんな組み合わせを試してみます。一番強そうな犬を先頭につけると、他の犬がびびって、後について行こうとしなかったり、方向感覚は抜群なのに体力不足で途中で力尽きてしまう。あれやこれや、試行錯誤の繰り返しです。

しかし9月になるころには、3頭の先導犬が決まりました。リキとテツ、それに紋別のクマです。いずれも抜群の方向感覚がある。リキはリーダーシップもあり、テツはベテランらしい落ち着きがある。紋別のクマも直進走行は一番安定性がある。

なぜ3頭も先導犬が必要なのか。常識的な距離を、常識的な期間に移動するだけなら、先導犬は1頭でもいい。しかし、南極といういわば異常な環境で、1年間にわたり、1000キロ以上も走るのですから、やはり複数いないと不安。先導犬が不慮の事故で死んだり怪我をすることだってあるからです。

一方で、犬ぞりを引く犬たちを、どのようなフォーメーションでつなぐか、という研究も進められました。それまで、北海道には1頭だけで引く小さな犬ゾリはありましたが、多数頭で引く犬ぞりはなかったのです。犬ぞりの設計と並行して、犬たちをどのようにつなぐのがベストなのか、という研究も進められました。

そのフォーメーションは6種類。単純に縦一列につなぐ一列型。左右に並べてつなぐ相曳方。互い違いにつなぐカラフト型。放射状に配列する扇型。その一種の変形扇型。そして、独特の放射状につなぐエスキモー(現在では蔑称ですが、当時はこう呼んでいました)型。どの型がいいかは、犬種や犬ぞりの形状によっても違います。最終的に、深い雪でも対応能力が高いカラフト型に決定しました。

こうして、厳しい訓練に耐え、身体検査に合格したオス犬20頭は、メス犬2頭とともに南極に向かいました。1956年11月8日のことです。

1957年2月。南極越冬が開始されました。犬たちは頑張りました。

当初は、360度同じ風景が広がるために、戸惑いを見せていた先導犬リキは、すごい学習能力を発揮。すぐに、南極での走行に慣れ、まっすぐ走るときは、よれずにまっすぐ走る。右へ回る時、左に回るときは、適切なカーブを描いて回るようになりました。そして、前方に障害物があると直感的に感じた時は、言われなくても止まるように。犬ぞり隊は、リキという先導犬のおかげで、素晴らしい成果を上げたのです。

しかし、誤算も生じました。紋別のクマは南極ではさっぱり能力を発揮できませんでした。北海道の訓練所は、ソリを引いた部分は雪が固まって、わだちが残る。同じコースを何度も走るので、紋別のクマは、そのわだちをそれることなく、まっすぐ走ることができた。しかし南極では、同じルートを走ることはほとんどないし、がちがちに固まった雪か氷ですから、わだちもできません。紋別のクマにとっては、目印を奪われたも同然で、蛇行を繰り返すようになり、自信を無くしてしまったのです。

テツは、だんだん体が弱くなっていきました。当時6歳。今の6歳は犬も元気な盛りですが、当時の6歳は、ほぼ寿命だったのです。どうして、そんな年寄りの犬を南極に連れて来たのか。今となってはわかりませんが、その後テツは弱っていき、先導犬のポジションを失って、後方に格下げとなり、さらには犬ぞりを引くことすらできなくなって、とうとう死んでしまいました。

そういうことは、越冬隊はある程度予測していました。

「3頭の先導犬が1頭になってしまうケースに備えて、次の候補を作っておこう」というわけで、北海道の訓練で、まずまずの成果を上げていたアカとベックを、準先導犬にしていたのです。

ところが、アカは気性が激しく、南極に来てどんどん獰猛な性格が目立つようになりました。もちろん隊員たちにはなついていたのですが、犬同士となると、どうも仲が悪すぎる。友達がいなくなりました。いくら先導犬としての能力があっても、他の犬たちの納得が得られなければ、役割を果たすことはできません。

ベックはさらに深刻な事態になりました。小手調べ的な近場の犬ぞり探査にすら参加できないくらい、弱っていき、食欲も落ちて、体重が激減しました。

「これでは探査に連れてはいけない」。

ベックは留守番です。犬ぞり隊の北村隊員が「早く良くなれよ」とベックの首周りをなでてやると、ベックはうれしそうに北村隊員の顔をぺろぺろ舐めました。「なんだ、こんなに元気なら、すぐに回復するだろう」。一行は出発しました。

3日後、基地に戻ると、西堀隊長がこわばった顔で言いました。

「早く、ベックに会ってやれ」。

どうしたんだ、ベック!北村隊員はベックが療養している場所に走りました。そこには、舌をだらりと出したまま、はあはあと荒い息を吐いているベックが。目もうつろです。ベックの呼吸は徐々に弱くなっていき、最後にひとつ、小さな息を吐きました。ベックの目から光が消えていき、前脚が小さく痙攣しました。ベックは虹の橋を渡ったのです。

西堀隊長は、北村隊員の肩に手を置き、言いました。

「犬ぞり隊が基地に戻ってきた時、ソリ犬たちが鳴いただろう。すると、昏睡していたはずのベックが『ク~ン』と小さく鳴いたぞ。待っていたんだよ、みんなが帰ってくるのを」

北村隊員は男泣きしました。

リキは期待以上の能力を発揮しているが、テツと紋別のクマは使えない。「準先導犬」にしていたアカもベックもだめだ。

そうなると、残った犬の中から、新たに「第二の先導犬」を見つけるしかありません。抜群の方向感覚、特にまっすぐ走る能力、そしてほかの犬たちを率いるリーダーシップがある犬が、この中にいるのか?いるとすれば、その犬はどの犬なのか。

「新戦力」となる能力を秘めた犬を探し出さなくてはならない。これはけっこう深刻な問題でした。もし第二の先導犬になれる犬がいなかったら、長距離の研究探査はできなくなる。ということは、南極観測事業が失敗するということなのです。「南極観測成功のカギは、先導犬にかかっている」。隊員たちはその思いを強くしました。

今回は相当な長さになったので、ここまでにします。

次回、「第二の先導犬を発掘せよ」をテーマに書こうと思います。

(written by Free Dog)(不定期掲載)

【ミニ解説】 日本の南極第1次越冬隊は多くの犬を南極に連れて行った。しかし1年後、2次越冬隊との交代に失敗。結局15頭を鎖につないだまま南極に置き去りにした。全滅したと思われていたが、1年後、なぜかタロとジロの2頭は生きていた。世界中が驚き、「タロジロの奇跡」と言われている。

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